日月神示 黄金の巻 第七十三帖(五八四)から第八十帖(五九一)

第七十三帖(五八四)

 

 四十八柱、四十九柱、それぞれの血筋の者引き寄せておいて、その中から磨けた者から選り抜く仕組。磨けない者代わりのミタマいくらでもありますよ。お出直しお出直し。世界が二分ですねえ。もの見るのは額で見なさい。ピンと来ますよ。額の判断間違いなし。額の目に見の誤りなし。霊界には時間、空間は無いと言っていますが、無いのではありません。違って現われるから無いのと同様なのです。あるのです。悪の霊はミゾオチに集まり、頑張ります。黄金(こがね)の巻は百帖です。こがねしろがねとりどりに出るのです。慌てないように。(十二月二七日)一二十。

 

 

第七十四帖(五八五)

 

 貰(もら)った神徳に光出す人民でなければ、神徳を我れ善しにする人民にはおかげあげません。自分が自分で思うようにならないでしょうに。自分が自分のものではないからですよ。自分のものなら自由になると言ってありましょう。道を進めば楽に行けます。道行かずに山や畠(はたけ)や沼に入るから苦しむのです。神の仕組のわかる人民二三分出来たら、いよいよにかかりますよ。まだまだ改心足りません。神は急ぎます。魂にめぐりあると何してもグラリグラリと成就しませんよ。めぐりのままが出て来るのですよ。心のよきもの、神にまつりて、この世の守護神と現しますよ。理屈はわからなくても真理は掴(つか)めます。信念と真念は違います。信念は自分のもの。信念超えて真念あります。任せきったのが真念です。迷信が迷信でなくなることあるのです。だからといって信念がいらないのではありません。もう待たれないからわかった人民一日も早く奥山に参りて神の御用結構につとめあげて下さいね。世界中を天国にいたす御用の御役、つとめ上げて下さいね。人間の念力だけでは何程(なにほど)のことも出来はしません。その念力に感応する神の力があるから人間にわからない、びっくりが出て来るのです。(一月三日)一二十

 

 

第七十五帖(五八六)

 

 戦(いくさ)や天災では改心出来ません。三千世界の立て直しですから、誰にもよりません。下(しも)の神々様もアフンの仕組で、見事成就させるのですが、よく神示読めば、心で読めば、仕組九部通りはわかるのですよ。死ぬ時の想念がそのまま続くのですから、その想念のままの世界に住むのですよ。この世を天国として暮らす人、天国へ行きます。地獄の想念、地獄生みます。真理を知ればよくなります。そんなこと迷信と言いますが、求めて見なさい。百日一生懸命求めて見なさい。必ずおかげあります。神があるから光が射して嬉し嬉しとなるのですよ。(一月三日)一二十

 

 

第七十六帖(五八七)

 

 真理を知って、よくならなかったら、よく省みなさい。よくなるのがマコトなのです。悪くなったら心しなければなりません。善人が苦しむことあります。よく考えてみなさい。長い目で見てよくしようとするのが神の心です。目の前のおかげではなく、永遠の立場から、よくなるおかげがマコトのおかげ。神徳は重いから腰ふらつかないようにして下さいね。その代わり貫きて下さったら、永遠(とわ)にしぼまない九の花となりますよ。二三(フジ)に、九(ク)の花どっと咲きますよ。拍手は清めですが、神様との約束固めでもありますよ。約束違えないように。(一月三日)一二十

 

 

第七十七帖(五八八)

 

 富士の仕組とは動かない真理、ウズウミ(渦巻きの印)の鳴門の仕組とは、弥栄の限りなき愛のことです。神の道に入り、道をふんで居れば、やり方一つで何でもよく、嬉し嬉しとなります。世の元から出来ているミタマの立て直しですから、一人の改心でも中々であると言っているのに、ぐずぐずしていると間に合いません。気の毒出来ますよ。めぐりと言うのは自分のしたことが自分にめぐって来ることです。めぐりは自分でつくるのですよ。他を恨んではなりません。美の門から神を知るのが、誰にでもわかる一番の道です。芸術から神の道に入るのは誰にでも出来ます。この道理わかるでしょう。審判(さばき)の廷(にわ)に出たならば、世界は一人の王となります。御出まし近くなりましたよ。自分よくしてくれと言っていますが、それは神を小使(こづかい)に思っているからですよ。大きくなりなさい。(一月三日)一二十

 

 

第七十八帖(五八九)

 

 悪で行けるなら悪でもよいですが、悪は影ですから、悪では続かないから早く善に帰りなさいと言うのです。先祖は肉体人を土台として修業します。めぐりだけの行をしなければなりません。(一月三日)一二十

 

 

第七十九帖(五九〇)

 

 心、入れ替え奥山へ参りて、その場で荷物を持たすようになりますから、ミタマを十分磨いておいて下さいね。神が力添えますから、どんな見事な御用でも出来るのですよ。(一月三日)一二十

 

 

第八十帖(五九一)

 

 欲が深いから先が見えないのです。悪神よ、今までは思う通りに、始めの仕組通りにやれたが、もう悪の利(き)かない時節が来たのですから、早く善に立ちかえりて下さいね。善の神まで捲(ま)き入れての仕放題(しほうだい)。これで不足はもうないでしょう。いくら信仰しても借銭なくなるまでは苦しまなければなりません。途中でへこたれないように、生命がけで信仰せねば借銭なしは難しいのです。途中で変る紫陽花(あじさい)では、御用難しいのです。(一月三日)一二十